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ドイツのメディカル・ハーブ事典出版ブームの話

しばらく、ヨーロッパのメディカル・ハーブ事典ブームの歴史のお話です。

ヨーロッパでは、本草書(メディカル・ハーブ事典)といえば、長い間ディオスコリデスの『 Περὶ ὕλης ἰατρικής(De materia medica libriquinque、マテリア・メディカ、薬物誌)でした。(以下『マテリア・メディカ』で統一します)

薬学の祖といわれるディオスコリデスは、古代ローマのネロ皇帝の時代に活躍した軍医で、『マテリア・メディカ』はギリシャ語で書かれています。

『マテリア・メディカ』は翻訳され、最高の本草書としてアラビア・ヨーロッパで重用されました。なんと、この本が書かれた古代ローマ時代の1世紀から1500年ごろまで使われていたそうです。長い!ちなみに、後の時代の写本には挿絵がありますが、もともとの『マテリア・メディカ』にはありませんでした。挿絵がなかった理由があるのですが、それはまた今度。

 

イギリスでの本草書ブームはアロマテラピー検定でも出てきますが、出版ブームが起こるには、当たり前ですが活版印刷技術が必要になります。

 

以下イギリス本草書ブームまでの流れ。

1445年 ドイツでグーテンベルク活版印刷を確立、47年に実用化。(ちなみに活字印刷の起源は中国。製紙法も、第3回十字軍遠征の際に、中国からヨーロッパに伝わっています)

1475年 ドイツで初の母国語『マテリア・メディカ』が出版されました。それまでは聖書と同じく、インテリしか読めないラテン語で書かれていました。

1485年 ペーター・シェッファーが『Herbarius Latinus(ドイツ本草書)』を出版し、ドイツ本草書の時代の幕開けとなります。

1492年 イタリアのフェラーラ大学医学教授ニコロ・レオニチェーノが『プリニウス及びその他の著作家が犯した薬草についての記述の誤り』を発表。古代ローマ時代以降、初めて『マテリア・メディカ』への盲目的な信頼が崩れ始ます。

1522年 ドイツでルターがドイツ語訳聖書を出版し、活版印刷が一般的になっていきます。

以降、ドイツでは本草書の出版が続き、1538年には、ヒエロニムス・ボックが『新本草書』を、1542年にはレオンハルト・フックスが『植物誌』を出版。フックスの『植物誌』は、500を超える植物の図版を掲載、分業体制で植物図版を作成した初めての本です。

イギリス本草書ブームの先駆けとなる、ウィリアム・ターナー『A New Herball(ニュー・ハーバル/新本草書)』は、フックスの『植物誌』の図を下敷きに執筆されました。

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