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スーパーセレブだったアニキア・ユリアナ

歴史を調べるために、ウィキペディアを熟読すると、ところどころ間違っているの気がつきます。

「ウィーン写本」を捧げられた、元西ローマ帝国皇女アニキア・ユリアナの父オリブリオス帝の項目で、

472年に自然死を遂げるまでに、プラキディア夫人や娘アニキア・ユリアナに先立たれている。

となっていますが、アニキア・ユリアナは527年か528年に亡くなったので、「プラキディア夫人や娘アニキア・ユリアナに先立だち、472年に自然死した」の誤訳なのかなと思います。

イギリスのハーバリストョン・ジェラードのページも

ロンドンで学び、床屋外科となった。

となっていて、これだとジェラードが高度な教育を受けず、独学で植物学を学んだことがわかりにくいので、少し気になりました。「ロンドンで徒弟に入り、床屋外科になった。」だともっといいかな。徒弟に入るのと学校に行くのって、全然違いますからね。ウィキペディアは誰でも直せるので、時間ができたらやり方を勉強したいです。

間違いがあるといっても、ウィキペディアが市販の百科事典に比べてミスが多いわけでもなく、同じ程度だそうです。数が多いから、間違いをなくすことはむずかしいんだと思います。

 

アニキア・ユリアナの英語版ウィキペディアを斜め読みしたんですが、とてもおもしろいです。

西ローマ帝国が滅亡し、皇女でなくなった後も、「もっとも高貴で裕福な市民」とよばれ、スーパーセレブでした。当時の本は字も絵も手書きだったわけですので、「ウィーン写本」のような、豪華な彩色図版入りの本草書なんて、セレブでなければ手に入らなかったと思います。

平安時代の日本でも、更級日記の作者が、「源氏物語」が読みたくて仏様にお願いしていました。54帖全部を手で書き写すって、生半可な作業じゃないですね。今の本とは重みが違います。

アニキア・ユリアナは、コンスタンティのポリスに壮麗な教会を作って、自分の血筋の高貴さをアピール。これは東ローマ帝国皇帝に軽くケンカを売るようなことだったらしです。姫さま、いい性格してますね(笑)