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How to be your own doctor

アロマ&ハーブ、ボディワーク、アトピー性皮膚炎の情報など

イギリスのメディカル・ハーブ事典出版ブーム前夜

アロマとハーブの歴史(世界)

本日は、アロマテラピー検定に出てくるジョン・ジェラード、ジョン・パーキンソン、ニコラス・カルペパー達ハーバリストによる、イギリスのメディカル・ハーブ事典(本草書)出版ブーム・・・の前の話です。

なぜ、本草書があんなに流行したのか?どうして必要とされていたのかを考えてみたいと思います。

 

529年、イタリアのモンテ・カッシーノに修道院が建設されて以来、中世ヨーロッパの医療は修道院が担い、修道院医学の時代となりました。修道院ではワインや薬草酒がつくられ、醸造技術が発達。メディカル・ハーブが育てられ、治療が行われました。

これは、宗教と治療が切り離すことのできないものであること、聖母マリアとキリストに治療神としての面があったこと、ラテン語を読めるのが聖職者と貴族のみであったこと、修道院にイスラムや古代ギリシャの文献が集められ、ラテン語に翻訳されていたことも関係しているようです。

世俗でも絶大な力を持ってきたカトリック教会ですが、国王や都市の力が強まり、徐々にその勢力を弱めていきます。15世紀末には、ヨーロッパ各地の自由都市が病院を設立、保健・衛生・医療の事業が教会から世俗へ移行していきます。

そんな中、イギリスではヘンリー八世が離婚問題でローマ・カトリック教会と絶縁、イギリス国教会を創始します。そして1540年に、修道院の財産を没収しました。

結果、イギリスでは、教会の管理下にあった100を超える病院は閉鎖されてしまいます。その一部は再開されますが、看護の担い手は修道女ではなくなってしまいました。看護師は正式な職業ではなく、雑用係のように思われていたため、19世紀まで素人の女性が看護を担うことになります。

子供のころ、ナイチンゲールの伝記マンガや「キャンディ・キャンディ」を読んで、「なんで当時のヨーロッパの医療はこんなにメチャクチャで、ちゃんとした看護師もいなかったんだろう?」と疑問に思っていましたが、修道院から世俗に医療の担い手が移ったのに、世俗の方に医療のプロがいなかったということなんですね!ようやく腑に落ちました。

 

1511年に、ヘンリー8世が医学試験合格者以外の医業を禁止していたため、イギリスは医師不足におちいっていました。そこにさらに、教会傘下の病院が閉じたため、まともな医療を受けることができなくなってしまったのです。

そのため、1543年、ヘンリー8世は1511年の布告を撤廃、「ハーバリスト憲章」ですべての国民にハーブ医学を実践する権利を与えました。イギリス本草書ブームは、ここから始まるのです。

次回に続く!

医学の歴史 (講談社学術文庫)

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