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ハンガリー・ウォーター誕生の逸話って、どこまで本当?

水蒸気蒸留法を確立したのはイブン・シーナーなのか?」に続き、本日はアロマテラピー検定で必ず出てくる、ハンガリー・ウォーターの誕生話を探ってみます。

そもそも、香水の起源の一つに挙げられ、「ハンガリー王妃の水」とも呼ばれるハンガリー・ウォーターの誕生は、どんなふうに紹介されているのでしょうか?アロマテラピー検定関係の本やサイトでは、こんなふうに書かれています。

14世紀中世ヨーロッパ、僧院医学の時代に誕生した痛みどめ。ハンガリー王妃エリザベートの手足が痛む病気のために、修道院の僧が、ローズマリーを主体として作り、献上した。王妃は見違えるように回復し、若返ったことから、彼女にポーランド王(もしくは王子)が求婚。この薬は以後「若返りの水」と呼ばれた。

まず、ほとんどの本がまちがえていますが、エリザベートじゃなくて、ハンガリーなので、エルジェーベト、エルジェベトが元の発音に近いです。ドイツ名だとエリーザベト。どちらにしろ、日本で普及してしまったエリザベートではないです。名前は本当の発音に近い表記にしましょう。礼儀ですので・・・

王族が恋愛でプロポーズすることはほぼないので(ほとんど政略結婚)、この時代に年の差政略結婚があったのかと思いましたが、どうもそうでもないようです。

 

日本語版ウィキペディアでは、ハンガリーウォーターの誕生に関係する人物として、ポーランド王女でハンガリー王カーロイ1世の王妃であった、エルジュビェタ・ウォキェトクヴナ(Elżbieta Łokietkówna)こと王妃エルジェーベト(Erzsébet、1305年 - 1380年)が出てきます。

ですが、英語版ウィキペディアでは、もう一人、ハンガリー王女の聖エルジェーベト(Erzsébet、1207 - 1231年)の名があげられています。

ハンガリーウォーター誕生のきっかけになった人物は、アルコールの普及した年代やハンガリーという場所を考慮すると「ハンガリー王妃エルジェーベト」でもやや早く、誕生の正確な年代は失われてしまっている、というのが通説のようです。

ハンガリー王妃の水のエピソードは本当か?」以前に、王妃が関係しているかどうかもあやしくなってしまった・・・!

 

とにかく、エルジュビェタこと王妃エルジェーベト(以下エルジェーベトで統一)について見てみましょう。

エルジェーベトの父ヴワディスワフ1世は、分裂したポーランドを再統一し、1320年にポーランド王として戴冠しました。そしてエルジェーベトは、その年に、ハンガリー王カーロイ1世と結婚しました。

1342年にカーロイ1世が亡くなると、エルジェーベトの息子ラヨシュ1世がハンガリー王位を継承しました。

一方ポーランドは、エルジェーベトの父が1333年に亡くなった後、エルジェーベトの弟カジミェシュ3世が王位につきました。彼は1370年に死去したのですが、息子がいませんでした。そのため、王位継承順の関係で、エルジェーベトの息子ラヨシュ1世がポーランド王位も継承し、ハンガリーポーランド両国の王になりました(このあたり、日本人には不思議ですね)そして、実質的なポーランド統治は、母であるエルジェーベトが行ったと言われています。

 

で、王妃エルジェーベトが70代でポーランド王(もしくは王子)の求婚を受けた話ですが、70代ということは、1375年以降、つまり、その時のポーランド王は、王妃エルジェーベトの息子のラヨシュ1世になります。さすがに息子からプロポーズはないでしょ(笑)ポーランド王子は孫になりますし、そっちの可能性もないですね。孫はプロポーズしないだろうし(叔母・甥だとオッケーだったみたいですが)、そもそも王子が生まれなかったので、断絶してしまっているのです。

この話はおそらく、ハンガリーポーランドの王が同じ人になったこと、同君連合の事情を知らない人たちが「ハンガリーポーランドがくっついたってどういうこと?ポーランド王とハンガリー女王が結婚したの?」と思ったのではないか。つまり、ハンガリーポーランド以外の、あまり関係の深くない国で流布した伝説だと思います。

クレオパトラも愛したハーブの物語―魅惑の香草と人間の5000年」にも、このように書かれていました。

こうして女王と王は結ばれ、ハンガリーポーランドは一つの国になったというのだが、これはあくまでも伝説である。

C・J・S・トンプソンの「香料文化誌―香りの謎と魅力」のような古い本でも「伝説」だとはっきり言っているのに、事実のように書いているアロマテラピーの本やブログが多いですね・・・エピソードを肉付けしすぎて、小説のようになっているブログもあって、ある意味おもしろいんですが、歴史として書くなら、事実を調べて書いてほしいと思います。

 

そして「若返って、年下の王様or王子様からプロポーズ!」という古今東西変わらない、女性受けする内容から見て、商人が販売の際にお客さんに話した宣伝用ストーリーだったんじゃないかなー、というのが個人的な意見です。

未亡人や病人の守護聖人である聖エルジェーベトの方は、生前修道院と関係が深かったわけなので、こちらが誕生のきっかけになった可能性も否定できないです。そして、どっちも誕生と関係ない可能性も否定できません・・・

 

結論

  • ハンガリー・ウォーターが誕生した正確な年代、経緯は不明である。
  • エルジェーベトという名のハンガリー王族が、ハンガリー・ウォーター誕生に関係していると言われているが、それが王妃エルジェーベトなのか、聖エルジェーベトなのかはわからない。どちらも関係ない可能性もある。
  • 王妃エルージェベトがハンガリー・ウォーターの効果で若返り、ポーランド王もしくは王子に求婚されたというエピソードがあるが、これは事実ではなく、あくまで伝説である。
  • また、この伝説は、ハンガリーポーランド同君連合に由来すると思われるので、求婚者はポーランド王子でなく、ポーランド王とするのが妥当である。(「クレオパトラも愛したハーブの物語」でも「香料文化誌」でも、ポーランド王になっています)
クレオパトラも愛したハーブの物語―魅惑の香草と人間の5000年
 
香料文化誌―香りの謎と魅力

香料文化誌―香りの謎と魅力